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相原家薬医門 ブログトップ

南部藩の飛び地練馬区田柄 [相原家薬医門]

 相原家は、代々この付近一帯の組頭を務めた豪農で、奥州盛岡(岩手県盛岡市周辺)の大名であった南部家なんぶけと関係があったと伝えられています。そのため、相原家薬医門は、通称「南部の赤門」と呼ばれています。門の修理の際に屋根から見つかった棟札むなふだには相原家当主の源左衛門げんざえもんとともに、南部藩御用人ごようにん並びに御目付の目時隆之進めときりゅうのしんの名が記されていました。また、享和4年(1804年)の古文書、土支田村明細帳にも南部侯の領地がこの付近にあったことが記されており、南部家なんぶけとの関係がうかがえます

相原家薬医門

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愛染明王札.JPG


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