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伊賀衆奉納の水盤・鳥居 [練馬区史跡氷川神社]

 伊賀(三重県)練馬区との関わり



天正10年(1582年)京都でおきた「本能寺の変」の知らせを聞いた徳川家康は伊賀超えをして、伊勢の白子港から船にて国元の三河に急いで帰国しました。このとき家康の警護案内をしていたのが伊賀衆でした頭目が(服部半蔵)。

その後、家康が江戸に入城したときに、伊賀衆はこの功績により新たに領地を与えられました。そのひとつが練馬の大泉(旧橋戸はしど地区)です。

禄高5000石 大旗本

氷川神社大泉.JPG

伊賀衆奉納記録.JPG

 この神社にある伊賀衆奉納の水盤すいばんは、鳥居とともに嘉永2年(1849年)に奉納されたものです。元は東京外郭環状道路の大泉インターチェンジ付近にあった愛宕神社の稲荷社にありましたが、廃社の後、現在の氷川神社に移されました。水盤すいばんは、石造で、正面上段には、家紋(源氏車げんじぐるまに宝珠ほうじゅ)、下段に相給年番あいきゅうねんばん・伊賀者いがもの組頭・地方掛じかたがかりの役職にあった9人の氏名が彫られています。右側面には、伊賀衆がこの付近の領地を与えられた経緯が刻まれています。鳥居は、石造で、左右の円柱には99人の奉納者の氏名が刻まれており、その中に伊賀衆の氏名が見られます。

寄進の水盤

伊賀衆奉納水盤.jpg

有形文化財.JPG

説明碑.JPG

伊賀衆水盤奉納.png

参拝後いただいた、お札

神社庁遷宮2.jpg

神社庁遷宮.jpg




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