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東京電波塔 SKY TREE ついに世界一に到達 [634M(武蔵)]

浅草吾妻橋からSKY TREE を望む又六区からの眺め

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             六区からも角度を変えて見てみました

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お酉様で有名な浅草の鷲神社の近く「角萬」冷やし肉なんそば(通称ひやにく)950円です大盛り50円増し又近くに樋口一様会館もあり、途中田舎饅頭のお店があり、愛想のよい女将さんがいます、下町情緒の町です。

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樋口一葉会館も訪ねて一葉さんの短い人生の充実した文学を少しは勉強できました、奇縁なのは、一葉さんの碑文に我が故郷の国文学者佐々木信綱さんの詩を見つけた収穫がありました、

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佐々木信綱 わが町の歌人

三重県鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)にて歌人佐々木弘綱
の長男として生まれる

まれる父の教えを受け五歳にして作歌。1882年(明治15年)上京。1884年(明治17年)、東京大学文学部古典講習科入学。1890年(明治23年)、父と共編で『日本歌学全書』全12册の刊行を開始。1896年(明治29年)、森鴎外の「めざまし草」に歌を発表し、歌誌「いささ川」を創刊。また、落合直文、与謝野鉄幹らと新詩会をおこし、新体詩集『この花』を刊行。その後、歌誌「心の花」を発行する短歌結社竹柏会を主宰し、木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮など多くの歌人を育成。国語学者の新村出、翻訳家の片山広子、国文学者の久松潜一も信綱のもとで和歌を学んでいた。『思草』をはじめ数々の歌集を刊行した。1934年(昭和9年)帝国学士院会員。1937年(昭和12年)には文化勲章を受章、帝国芸術院会員。
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