SSブログ
賤母発電所 ブログトップ

電力王福沢桃介と奥村電機商会との出会い [賤母発電所]

賤母發電所2奥村電機
竣工 大正8年7月
改称 大正8年11月 木曽電氣興業株式会社へ
改称 大正10年2月 大阪送電株式会社、日本水力株式会社と合併により、大同電力株式会社へ
供出 昭和14年4月 国家管理法により、日本発送電株式会社へ
変更 昭和32年   山口ダムへ導水路変更
取水河川  木曽川
使用機器
使用機器
Boving社 縦軸型フランシス水車 5625kW 3台
奥村電機 横軸型フランシス水車 2887kW 1台
General Electric社 縦軸型三相交流同期發電機 5250kW 3台 6.6kV
奥村電機 横軸型励磁用發電機 3000kW 1台
送電電圧 77kV 竣工時以降

賤母発電所奧村電機.jpg

大同電力賤母発電所

大同電力賤母.jpg

奥村電機商会と福沢桃介との縁

◇ 1. 福沢桃介の木曽川電力開発
 明治半ばに産声をあげたわが国の電力産業は、今日では、水力発電、火力発電、原子力発電などの発展により、巨大なエネルギー産業を構築し、文化、経済の大基盤を創っている。

 木曽川水系における「水力発電ギャラリー」のホームページをみてみると、幹川流路延長229㎞、流域面積9,100km2、河川数391、流域都道府県三重、愛知、岐阜、滋賀、長野、包蔵水力112億9,200万kwh/年(11,292Gwh)、発電用水水利権使用許可件数77、発電用最大使用水量872.351m3/sと記されている。このような電力開発は、福沢桃介が紆余曲折を経ながら、大正年間に木曽川の水利権を獲得し、電力開発を行ってきたことが、今日の電力エネルギーを生み出したといえるであろう。その軌跡を追ってみる。

 福沢(岩崎)桃介は、明治元年、現・埼玉県比企郡吉見町に生まれ、福沢諭吉の慶応義塾に学び、福沢家の養子に迎えられる。明治22年諭吉の次女房と結婚。北海道炭鉱鉄道株式会社に就職したが、肺結核を患い、入院。その後株投資で財力を蓄え、丸三商会を興すが、倒産。明治42年名古屋電燈(株)の取締役に就任、木曽川の水力開発の調査に着手、八百津発電所、賤母(しずも)発電所を完成させ、そして大同電力(株)の社長に就任後、須原発電所、桃山発電所、読書(よみかき)第一発電所、当時日本一のダムを誇る大井ダムを造り電力王となった。彼の水力開発の考え方は、一河川、一企業を貫いたことである。昭和3年電力事業界から引退し、昭和12年没する。70歳の生涯であった。

 その桃介の電力事業を陰、日向で助けたのは、女優川上貞奴であった。このことを小説化したのが、杉本苑子の『冥府回廊(上・下)』(日本放送出版協会・1984年)である。さらにこれらを原作として、昭和60年度NHK大河ドラマ『春の波濤』が、福沢桃介=風間杜夫、川上貞奴=松坂慶子、川上音二郎=中村雅俊、福沢房子=檀ふみ等の出演で放映された。

奥村電機関連HP
http://www.alameda-t.com






nice!(2)  コメント(17)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
賤母発電所 ブログトップ