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我が町の 寺町 [練馬十一ヶ寺]

浄土宗の練馬十一ヶ寺は、練馬十一ヶ寺の一です。浅草にあった田島山誓願寺の塔頭のうち十一ヶ寺が、関東大震災後当地へ移転、十一ヶ寺を通称して、練馬十一ヶ寺、田島山十一ヶ寺と呼びます。十一ヶ寺とは、仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、林宗院、称名院、受用院、仮宿院、宗周院、快楽院の十一寺院です。

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九品院本堂九品院蕎麦食地蔵
浄土宗の九品院は、練馬十一ヶ寺の一です。慶長4年(1599)に本蓮社正誉秀覚和尚が、誓願寺の塔頭として創建したといいます。誓願寺の塔頭西慶院と合併、関東大震災後当地へ移転しました。西慶院で安置されていた蕎麦食地蔵(そば食い地蔵)は、蕎麦の尾張屋へ蕎麦を食べに来ていたという言い伝えを持ち、現在当院で安置してあります。

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蕎麦食地蔵(そば食い地蔵)のお話し
「あゝ、美味しかった。御馳走さま」
お坊さんは何度も丁寧に礼を言うと、暖簾をくぐって出て行った。いや、いや……
こんなに夜遅くおしのびでお出なさるとは、よほど蕎麦の好きなお方と見えるわい。元々信心深い尾張屋の主人のことゆえ、お坊さんの所望に毎夜快よくもてなしていた。
だが待てよ……、闇の中に去って行くその後姿を見送りながら、主人は不図こんな事を考えていた。もう一月にもなるかな、毎晩きまって四ッの鐘が鳴ると、間もなくお見えになるような気がする。それにしてもあの奥床しい容貌と言い、おだやかな物腰と言い、唯の方ではあるまい。一体何処の方であろうか。一つ明日聞いてみよう。
翌日、主人はお坊さんにおずおずと尋ねてみた。
「不躾ながら、貴方様はどこのお寺でいらっしゃいますか」
お坊さんはその問いを聞くと、はたと困ったような表情を浮かべ、只恥かしそうに顔を紅らめ答えようとはしない。主人の重ねての質問にやっと、
「田島町の寺……」
と小声で言うと、あとそれ以上聞いて呉れるな、と言うような眼差しを残して逃げるように立ち去った。どうも腑に落ちない。さては蕎麦好きの狐か狸が化けているのではないだろうか。よーし、今度きたら正体をつき止めてやろう、と店の者がいきまくのを主人、は押えておいた。
明くる日またお坊さんは、何事も無かったように蕎麦を食べ終えると、礼を述べて帰った。覚悟を決めた主人は、こっそりその跡をつけて行く。知ってか知らずか、坊さんは深閑と静まりかえった夜道をゆっくり、ゆっくり歩いていった。袈裟衣の黒い影は、誓願寺の山門をくぐり、西慶院の境内に入って行く。あー、申し訳ない矢張り本当のお坊さんだったのだ。何という申し訳ない事を、と山門の陰で両手を合わせてお坊さんの後姿を拝んでいた主人はその時ハッと息をのんだ。お坊さんの姿が地蔵堂の中にすうっと消えてしまたのだ。そして、御像にほのかな後光が射かに見えた。主人はへたへたとその場に坐り込み、暫らくは茫然と御堂をみつめた儘であった。何処をどう走ったかもわからない。やっと家に辿りついた主人がうるさく聞く声に耳もかさず「申し訳ない、勿体ない、お許し下さい・・・・・・」と繰り返えすのみ。
その夜、まだ興奮もさめぬまゝにうとうととまどろんでいると、枕元に厳かなお告げが聞えた。「われは西慶院地蔵である。日頃、汝から蕎麦の供養を受けまことに忝い。その報いには、一家の諸難を退散し、特に悪疫から守って遣わそう」それ以来、主人は毎日西慶院の地蔵様に蕎麦を供え、祈願するのを怠らなかった。ある年、江戸に悪疫が流行して、死人が続出し野辺送りの列が絶えなかった。人々の悲しみをよそに、尾張家一家はみな無事息災であった
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