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忍者服部半蔵奉納の仁王像と練馬区との関わり [練馬区御嶽神社境内]

                家康と半蔵の出会い 
天正10年(1582年)京都でおきた「本能寺の変」の知らせを聞いた徳川家康は国元の三河に急いで帰国しました。このとき家康を警護していたのが伊賀衆でした。その後、家康が江戸に入城したときに、伊賀衆はこの功績により新たに領地を与えられました。練馬の一部もそのひとつです。江戸に移り住んだ伊賀衆は服部半蔵(はっとりはんぞう)の支配下におかれました。こうしたことから服部半蔵(はっとりはんぞう)が奉納した仁王像が区内でみつかっています。
 服部半蔵(はっとりはんぞう)奉納の仁王像は、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の2体で、いずれも高さが約1メートルあります。特に阿形像(あぎょうぞう)の後背(こうはい)には、「宝永三年(1706年)十二月廿日(はつか) 大垣氏(おおがきし) 服部半蔵尉(はっとりはんぞうのじょう)藤原幸隆」の銘があり、この辺りが江戸時代に服部半蔵(はっとりはんぞう)とゆかりのある土地であったことがうかがえます。もとは現在置かれている御嶽神社(おんたけじんじゃ)より約150メートルほど北側にあった高松寺(こうしょうじ)にありましたが、明治の初めに廃寺となったため、現在地に移されました。

徳川家康の論功行賞と人柄
   私の私見ですが
      生い立ちから苦労をして成人したので、親身に世話をしてくれた、家来は勿論のこと(旗本)その都度助けてもらつた人物郎党には、後日厚く遇した実例は多々見受けられます。その例の一つが上記伊賀忍者服部半蔵の処遇でよくわかります。 (8000石の大身旗本)

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吽形像(うんぎょうぞう

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阿形像(あぎょうぞう)

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