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我が住家の史跡 [練馬区光が丘]

光が丘に引き越しして7年公園散歩中公園の起源ボードで知りあらためて
練馬郷土史を勉強してみようと思いました、出来れば情報の提供をお願いいたします

光が丘公園-1

飛行場跡とは知りませんでした

公園計画は、昭和15年の紀元2600年記念の大緑地計画までさかのぼります。しかし太平洋戦争が始まり、計画は変更され、陸軍の「成増飛行場」が建設されました。
戦後グラントハイツとして米軍の管理下にありましたが、昭和48年に返還が完了し、総面積の約1/3が公園として確保されました。昭和56年から一斉に周辺の整備が開始され、小、中、高校が15校、公団、公社、都営住宅12000戸、都内有数の大団地となりました。


http://members.jcom.home.ne.jp/oka3n/page022.html

光が丘公園-2

 銀杏並木のいわれを初めて知りました。

光が丘駅から光が丘公園に至る通りの銀杏並木(写真)はなかなか由緒のあるものである。東京都の由来記によると、丸の内の2丁目と3丁目の間の道路(旧・東京市役所前、現・東京国際フォーラム前)に、明治40(1907)年に植栽された幹回り40cmの成木が1985年の京葉線東京駅舎の建設に伴って一時苗圃に移され、その後光が丘公園の開園時にこの地に移植されたとのこと。従って、樹齢は優に100年を超えていることになる。

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